わたしたちは政治家のカネを問題視し、その腐敗を嘆いてみせる。しかしほんとうは、カネのためにすべてを顧みず、精神を腐敗させているのは国民自身なのだ。
代議制民主主義とは自由よりも金銭を重んじる奴隷精神に基づく政治制度であり、投票とは、わたしたちが主権を売り渡す行為なのだ。
そもそも政治的意見の表明の方法はもっと多様だ。選挙だけが政治参加の唯一の方法だというのは、それこそ人民から主権を簒奪するために、代議士たちにそう思い込まされてきたにすぎない。
たとえば、選挙以外の主権者としての主体的な政治参加といえば、デモを考えることも可能だ。
ここ数年でも、世界的にみれば、エジプト、チュニジア、リビア、タイ、グルジア、ウクライナなどで政権の交代を促し、トルコ、ブラジルなどでも政権に大きな打撃を与えている。欧米での大規模デモは日常的過ぎてあらためて大きなニュースにもならない。ちょっとデモが起きると「お上にさからうとはけしからん」とよってたかって潰しにかかる日本のほうがむしろ特異な存在に見えてくる。
わたしたちはデモもできれば、占拠もできる。香港の学生のように街を占拠し、台湾の学生のように国会を占拠するのも、民主主義の発現のひとつの形態だ。
投票だけが政治参加だとうそぶくやつらに乗っかってはいけない。代議制だけが民主主義だというやつらにたぶらかされてはいけない。わたしたちには主権をとり戻すためのあらゆる方法が許されている。
投票用紙を破り捨てろ。国会の議席を占めることができなくとも、それ以外の空間を占めることはできる。選挙で敗北しても、選挙以外の方法で勝利することはあり得る。
最後にもう一度ルソーの言葉を引いておこう。
〈精神的な事柄において何が可能で、何が不可能であるかを決める境界は、わたしたちが思うほどに狭いものではない。この限界を狭くしているのは、わたしたちの弱さであり、悪徳であり、偏見である。下劣な人間は、偉大な人間が存在することを決して信じようとしない。卑屈な奴隷は、自由という語を耳にすると、嘲笑するような笑みを浮かべるものだ。〉
(エンジョウトオル)
最終更新:2014.12.14 07:04