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C.R.A.C.野間易通「ネット右翼の15年~『自由』が民主主義を壊していく」第2回

安倍首相と在特会元幹部──“ツーショット事件”は偶然ではない

 高市、稲田、山谷の写真が「発見」されてから約2週間後、海外メディアでも大きく報じられ一段落しかけたかに見えた9月19日、今度は安倍晋三と増木重夫のツーショット写真がネット上で話題になり始めた。

 白いシャツを着て肩を寄せあい、カメラに向かって微笑む安倍晋三と増木重夫。写真にはこうキャプションがついている。

「マスキクンのこと覚えてくれてました」

 この写真は増木重夫が管理するウェブサイトに掲載されていたもので、前衆議院議員渡嘉敷奈緒美が大阪7区から衆院選に出馬したとき安倍が応援にかけつけた際に撮られたものだ。現在、サイトからは安倍とのツーショットは削除されているが、その他の写真はそのまま残っている。

 安倍晋三は11月4日の参議院予算委員会で増木との関係を問われ、「1日200人ぐらいと写真を撮ることもあるのだから、いちいち誰と撮ったか覚えてない。その人物とは親しくない」と答えている。

 高市も稲田も山谷も安倍も、写真問題に関して基本的な返答は同じである。つまり、政治家なのだから写真を求められれば応じざるをえないし、そのときにいちいちそれがどんな人物か確認することもできない、したがってツーショット写真があるからといって関係が深いわけではない、という言い分だ。これは一見、誰でも納得がいきそうな話ではある。「写真ぐらいたいしたことないし、避けようがない」という見方もある。

 しかし本当にそうだろうか。

 たとえば山谷と一緒に写っているメンツに関して言えば、たしかに西村斉と荒巻靖彦は当時全く無名の存在であり、山谷が彼らをどこまで認識していたかはわからない。増木の弟子の若手の一人ぐらいの認識だったかもしれない。彼らの名前を一躍有名にした朝鮮学校襲撃事件もまだ起きていない。しかし西村や荒巻とはちがい、増木は当時も無名な存在ではなかった。少なくとも、講演会を終えた山谷に滞在先のホテルで会うことができるぐらいの関係だったのだ。繰り返すが、この当時増木は「在特会関西支部長」である。

 そして増木本人がウェブサイトに記載した写真キャプションによれば、安倍晋三もまた増木に会うのは初めてではなく、だからこそ「覚えて」いたわけである。増木が選挙応援中にたまたま遭遇した自民党支持者というわけではなかったことは、増木のもう一つの肩書を見れば想像がつくのではないだろうか。増木は、「救う会大阪」の代表者だったのだ。

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