こうした指摘に対して、百田は早速、11月12日のツイッターでこう反論した。
「ネット上で、たかじんさんの妻の経歴をほじくりかえして、鬼の首を取ったようにわめいているヤカラが大勢いるが、過去がどうだと言うのだ。いたって普通の経歴にすぎない。犯罪を犯したわけでもない私人の経歴を暴き立てて非難するのは実に低俗な行為だと思う。」
たしかに結婚歴があるというそれ自体は普通のことだ。しかしだとしたら、なぜそれを隠し、独身を装っていたのか。百田は『殉愛』のあとがきで「この物語はすべて事実である」と大見得をきったのではなかったか。そもそも、商売丸出しの大々的なプロモーションを仕掛けておきながら、いまさら「私人の経歴を暴き立てるな」といわれても、何の説得力もない。
しかも、さくらさんはただ結婚歴があるだけではない。たかじんからのプロポーズを受け、つきあっていた時点でも、まだ結婚をしたままだった可能性がある。
『殉愛』の記述によると、ふたりが最初に会ったのは、2011年12月25日。独身で、イタリアでネイルサロンを経営していたさくらさんは、妹の出産に合わせて日本に帰国しており、梅田のヒルトン大阪で友人のイタリア人女性と食事をし、その後、Facebookで知り合った「家鋪隆仁」という素性不明のおじさんのパーティにしぶしぶ参加。その後、30日にたかじんと2人で鉄板焼き店に行き、その日の夜、たかじんの自宅にてプロポーズを受けている。
だが、問題のブログをみると、同年12月に妹の出産のためイタリアから日本へ帰国しているのだが、たかじんと会う前日の24日にはイタリア人の夫も合流。「結婚2周年イヴ」を過ごしたことを報告しているのだ。そして、たかじんからプロポーズを受ける前々日の28日には、夫ともにヒルトン大阪と思しきホテルに滞在中であることを写真とともに伝えている。
その後、明けて12年1月2日に夫がイタリアへ帰国。『殉愛』によると、当初はさくらさんも1月20日にイタリアに戻る予定だったが、16日にたかじんの食道ガンが発覚。さくらさんはイタリア行きのチケットを破り捨て、たかじんと生きていくことを決意する。
だが、この後、『殉愛』を読んでも、疑惑のブログをチェックしても、イタリア人の夫と離婚したという記述はない。
それだけではない。実は、2ちゃんねるでは、そのイタリア人の夫のTwitterも発掘されているのだが、さくらさんがチケットを破り捨てた1週間後の12年1月22日には、「2 days: longest period without talking with my wife :()」(2日間、こんなに妻と話せてないなんてはじめてだ)とツイート。
そこから2か月経った3月15日の時点でも、「far from my wife and I am going crazy. Maybe it's time to think how to get out this situation. Move to Japan?」(妻と離ればなれで気が狂いそう。この状況をなんとか考えないと。日本に引っ越しするかな)とつぶやくなど、離婚どころか、日本で起きていることに気がついていない様子なのだ。