また工業系大学の情報工学科を卒業した垣沼寛貴さん(44歳)も、卒業後ソフトウェア開発会社に就職し、その後同業他社に引き抜かれ年収600万円ほどの給与を貰っていた。妻もインテリアデザイナーとして働いていたので世帯収入は1千万円以上。しかし勤務から10年目の2008年頃にリストラにあい失業してしまう。
通算15年のキャリアがあった垣沼さんだが、再就職の活動をする中で糖尿病を発症していたことが判明。このことで、再就職は困難を極めた。そのため健康食品のフランチャイズに手を出したがこれも失敗。
「蓄えを取り崩すだけでなく、子どもの学資保健まで解約したりカードローンで借金を作ってしまったものだから妻がブチ切れてね。小学4年生の娘を連れて実家に帰ってしまった」
その後離婚となった垣沼さんだが、仕事は月16万円ほどのパートのかけ持ち。家賃も滞納して家を追い出された。
「とりあえず手持ちのお金約2万円とスーパーのポイントカードで貯めた8000円を現金化してここ(山谷)に来たのが去年(13年)の8月でした」
こうして日雇い労働者が集まる山谷で日雇い労働で月10万円ほどを稼ぎ、ベッドハウスや、マンガ喫茶で生活をする日々だという。
数年前まで、IT企業の一線でプログラマーとして年収600万円も稼いでいても、リストラ、そして健康問題が重なればたちまち行き詰まり、家も無くし日雇い労働に頼るしかなくなる。
また意外に思えるかもしれないが銀行マンも貧困とは無縁ではないという。
大学を卒業して、中京地域に本社を構える地方銀行に就職した永島圭介さん(26歳)の手取り給与は17万円。ボーナスを含め年収は280万円ほどだ。銀行は初任給が抑えられるが、順調に昇格すれば30代前半で500万円、40代では700万円ほどの年収になる。
だからといって安泰とは決して言えない。