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高市政権が「文化の日」を「明治の日」にする動き本格化 背後に大日本帝国復活を目論む日本会議ら極右勢力の策謀

 400年に及ぶ徳川幕藩体制で外様の地位に置かれていた薩長が明治維新=暴力革命によって政治の中心に躍り出た際、革命政府がまずやらなければならなかったのは、自らの権威を確立し、国を一つにまとめることだった。そこで利用されたのが天皇信仰だ。薩長革命勢力は王政復古を掲げて維新を戦い、政権樹立後もこれを積極的に利用した。「建国神話」「神武創業」「万世一系」といった思想を整備し、蝦夷地から琉球に至る統一国家の樹立を目指した。イタリア人画家キヨッソーネに明治天皇の肖像を描かせ、「御真影」と称して全国津々浦々に配って国民支配の道具とした。

 祝日もそのひとつだった。維新を成し遂げた薩長政権は「王政復古」を具現化するためのさまざまな施策を実行した。1873(明治3)年には太陽暦を採用し、「年中祭日祝日」についての布告を出す。ここで何が行われたのかというと、なんとそれまでの日本の“伝統的な祝日”だった五節句祝(1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽)を廃止してしまったのだ。代わりに新たな「国家祝祭日」として設置されたのが、神武即位日(後の紀元節)、神武天皇祭(神武天皇の崩御日)といった天皇信仰に基づく祭日だった。実在もしない神武天皇の即位から年号を数える「皇紀」もこのとき定められた。

 しかも、これはのちに国家神道へと発展し、“日本は世界無比の神の国”という「国体」思想の装置として、祭政一致の国家主義、軍国主義に突き進んでいくことになる。この作られた伝統こそが、数々の侵略戦争によって多くの国の人間の命と自由を奪い、日本自体も滅亡の危機に追い込んだ「大日本帝国」の原点なのだ。

 安倍元首相ら極右政治家や極右論客は明治=大日本帝国を、ことあるごとに礼賛してきた。その最たるものが「明治150年」にあたった2018年10月に政府が開いた「明治150年式典」だろう。当時の安倍首相は、こんなふうに明治礼賛一色の式辞を披露してみせた。

「近代化への道のりは、大きな危機意識の中で始まりました。当時、技術に先んじる列強が植民地支配を進め、その波がアジアにも押し寄せていました。国力に後れを取っていた我が国は、正に国家存亡の危機に直面していたと言っても過言ではありません」
「明治の人々が、勇気と英断、たゆまぬ努力、奮闘によって、世界に向けて大きく胸を開き、新しい時代の扉を開けたことに想いをはせながら、私たちは、この難局に真正面から立ち向かい、乗り越えていかなければならないと思います」(首相式辞より)

 明治維新は国家存亡の危機から救ったと胸を張り、その精神を礼賛し現代社会に注入すると力を込める一方、帝国主義のもとで行った侵略戦争などは完全にネグっている。

 言うまでもなく、明治の日本=大日本帝国は、天皇を神と崇め、国民は天皇のために命を捧げることを強制される絶対君主制国家だった。人権は著しく制限され、貧困者や女性の参政権も認められず、身分制も根幹は解消されないまま。富は財閥と大地主に集中し、庶民は徹底的に搾取された。また、対外的には帝国主義国家として、数々の侵略戦争を引き起こし、多くの国の人間の命と自由を奪った。しかも、この体制はその後、80年以上にわたって続き、「神国日本」というカルト的な思想によって日本自体も滅亡の危機に追い込んだ。

 冒頭でも書いたように、皇室典範改悪、選択的夫婦別姓議論の封印、戦争政策の推進、国家情報局創設やスパイ防止法など国民監視の強化、そして改憲など、高市政権以降、明治=大日本帝国復活の動きは活発化している。

 とりわけ皇室典範改悪の成功に味をしめ、日本会議や極右連中は勢いづいている。先月20日におこなわれた、「日本会議・日本会議国会議員懇談会設立30年記念の集い」には、自民党・萩生田光一幹事長、維新・藤田文武共同代表、国民民主・榛葉賀津也幹事長、と自民・維新・国民民主の幹部が首をそろえ、改憲への意欲を語っていた。

 歴史を逆行させる「明治の日」など、絶対に許してはならない。

最終更新:2026.11.03 12:30

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