ネトウヨや冷笑系の連中は、「リベラルはローラの発言を擁護する一方で、つるの剛士の発言は叩く、ダブルスタンダードだ」などと的外れなことを言うが、松本や小籔、つるのが明らかな政権擁護発言をした際、その発言内容が批判されることはあっても、「芸能人の政治発言」の是非が問われたり仕事を干されるという事態に発展したことはない。安倍首相と会食したり、政府の有識者会議に参加することなどは極めて政治的な行為だと思うが、“会食芸能人”が「政治的」だと批判され、スポンサーがクレームをつけることなどない。
ようするに、いまの芸能界やテレビ、そしてネット世論では、権力批判や反対の声だけが「政治的発言」扱いされているのだ。
しかも、深刻なのは、そうした権力批判への攻撃がネトウヨや安倍応援団だけでなく、今回の指原のように、「中立」「ノンポリ」を自認している人たちの間から出てきていることだ。
今年1月、想田和弘監督が、糸井重里の原発にまつわる言説を批判する文脈で、「ノンポリ」の問題点についてツイートをしている。
〈この見えにくいけど存在する「無色透明の政治性」が、実に厄介なのだと思う。それは早野氏と組んだ糸井重里氏にも共通する。彼は自らの高度な政治性を、ノンポリ的トーンや一般的に「政治的」と言われる言説を徹底的に避けることで覆い隠す名人である。だから彼に対する批判は党派的に見えてしまう。〉
〈大多数の日本人は「ノンポリ」であることを公平で客観的であることの証拠のようにぼんやりと誤解しているので、政治的立場を鮮明にするだけでそのメッセージの伝播力は削がれてしまう。広告のプロである糸井氏が「無色透明の政治性」の広告的効用を熟知し使いこなせるのも、考えてみれば当然である。〉
〈実際には、「ノンポリ」とは高度に政治的な立場である。例えば「政府が推進する原発再稼働に賛成か反対か」と問われたときに、ノンポリを自認する人は「賛成でも反対でもない」などと答えるかもしれない。だがそれは実は政府方針の「容認(黙認)」を意味する。つまり再稼働に加担している。〉
〈それは辺野古でもそうだ。埋め立てについて、少数の賛成派と少数の反対派がしのぎを削っている横で、「ノンポリ」を自認する大多数の主権者は沈黙を守っている。彼らはどちらにも肩入れしていないつもりだろうが、沈黙していれば確実に辺野古は埋め立てられる。その逆はない。〉
日本では政治発言に対する忌避感をもっている人は少なくないだろう。だからこそ、世間の空気を読むことに長けた指原は「政治発言するタレントがイヤ」と発言したのだ。しかし、それは結局のところ、現状に対する批判封じであり、現体制に対する強い擁護・後押しとなる。現体制を無条件に肯定し続けた果てに行き着くのは、現在の北朝鮮や無謀な戦争に突入した大日本帝国のような国だ。
「政治発言するな」という言葉のもつ強烈な政治性と危険性がもっと自覚されるべきだろう。
(編集部)
最終更新:2019.03.20 12:49