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桜田五輪担当相の池江選手への無神経発言は安倍政権の五輪至上主義が生んだ! 斎藤工主演映画の五輪描写にもクレーム

 麻雀議連の一員として麻雀の描き方に対する批評があるのならばまだ理解できるが、試写会の趣旨とは何の関係もないオリンピックの描き方について、国会議員が「腹立たしい」などという強い表現で非難することが、圧力につながりかねないのは明らかだ。

 オリンピック中止を描くフィクションなんていくらでもあるし、フィクションでなくてもオリンピックを批判したり中止を呼びかけるような言論は、まともな民主主義国家なら当然あるものだ。しかし日本では、椎名林檎の「国民全員が組織委員会」発言に代表されるように、オリンピックに批判的な言論を許さない風潮がどんどん強くなっているが、こうした風潮をつくり出しているのは、この映画をめぐる騒動でも明らかなように、安倍政権の五輪至上主義体質によるところが大きい。

 そもそもオリンピックの価値を棄損しまくっているのは、他ならぬ安倍政権や日本オリンピック委員会(JOC)、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のほうだろう。

 つい先日も、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が世界中に恥を晒したばかりだ。アリアナ・グランデが「七輪」と彫ったタトゥーに対して日本人から容赦ない嘲笑を受けたことにより「日本語のレッスンを辞める」と表明した騒動で、あろうことか東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の公式アカウントが、手の平にマジックで「五輪」と書いた写真と共に〈五輪じゃなくて…〉とアリアナをあざ笑うようなリプライを投稿したのだ。この投稿は大炎上したが、組織委員会はいまだに謝罪も釈明も行っていない。

 オリンピック東京大会の開催が決まってから、数々の問題が浮上し、それらを挙げていけばキリがない。また、時にはオリンピックが安倍政権の野望のために政治的な利用をされることすらあった。

 コンパクト五輪を目指していたはずが予算はどんどん膨れ上がり、参加者にブラック労働を強いるボランティアの扱いは結局変わらぬまま。

 オリンピックにおけるテロ対策を名目に共謀罪を強行採決させ、また、一時はオリンピックを理由に海外ではとっくに時代遅れとなっているサマータイムの導入まで強引に押し進めたのも記憶に新しい。

 そういった問題は最近でも続けて起きている。

 東京オリンピック招致を巡る贈収賄疑惑における、JOCの竹田恒和会長に対するフランス司法当局の調べはいまでも続いている。

 オリンピックのためなら権力者はどんな無法なことをしても許されるし、国民は財産や命を喜んで差し出すべきだ──東京オリンピック開催にあたっては、そんな振る舞いが何度も何度も繰り返されてきた。桜田五輪担当相の池江選手に対する「がっかり」「下火にならないか心配」発言も、決して桜田大臣個人の資質だけの問題ではなく、こうした五輪至上主義の延長線上に出てきたものだ。こんなオリンピックにいったいどんな価値があるというのだろう。

最終更新:2019.02.13 10:34

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