事実、こうした自称「保守」による反天皇的反応が見られたのは「富田メモ」の一件だけではない。今上天皇が2013年の誕生日に際した会見で日本国憲法を「平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」と最大限に評価したときも、八木氏が〈両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねない〉〈宮内庁のマネジメントはどうなっているのか〉(「正論」2014年5月号)と攻撃した。
また、一昨年の生前退位に関する議論のなかでも、安倍首相が有識者会議に送り込んだとも言われる平川祐弘東大名誉教授が「ご自分で定義された天皇の役割、拡大された役割を絶対的条件にして、それを果たせないから退位したいというのは、ちょっとおかしいのではないか」と今上天皇を「おかしい」とまで言い切った。
こうした流れを踏まえても、つまるところ、今回の靖国神社宮司による天皇批判は、極右界隈がいかにご都合主義的に天皇を利用しているかをモロにあわらしているとしか言いようがないだろう。「保守論壇」や産経新聞がいまだに小堀宮司の「今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ」なる発言になんら反応を見せないのも、ようはそれが、戦中に靖国が担った国民支配機能の強化を夢見る連中の偽らざる本音だからにほかなるまい。
その上で念を押すが、そもそも靖国神社という空間自体が、極めて政治的欺瞞に満ちたものだ。事実、靖国神社に祀られている「英霊」とは戦前の大日本帝国のご都合主義から選ばれたものであり、たとえば数十万人にも及ぶ空襲や原爆の死者などの戦災者は一切祀られていない。“靖国派”は「世界平和を祈念する宗教施設でもある」などと嘯くが、実際には、靖国神社を参拝するということは、先の大戦に対する反省や、多くの国民を犠牲にした贖罪を伴った行為とは真逆の行為なのである。
だいたい、靖国の起源は、戊辰戦争での戦没者を弔うために建立された東京招魂社だが、この時に合祀されたのは「官軍」側の戦死者だけであり、明治新政府らと対峙し「賊軍」とされた者たちは一切祀られていない。そのご都合主義的な明治政府の神聖化≒国家神道復活の野望は、靖国の人事にもあらわれている。
小堀宮司の前任者である徳川康久前宮司は、今年2月末、5年以上もの任期を残して異例の退任をした。表向きは「一身上の都合」だが、“賊軍合祀”に前向きな発言をしたことが原因というのが衆目の一致するところだ。徳川前宮司は徳川家の末裔で、いわば「賊軍」側の人間であった。徳川氏は、靖国神社の元禰宜で、神道政治連盟の事務局長などを歴任した宮澤佳廣氏らから名指しで批判され、結果、靖国の宮司を追われたのである。
その後任に送り込まれたのが、伊勢神宮でキャリアを積んだ小堀宮司というわけだが、複数の神社関係者によると「小堀氏を直接推したのはJR東海の葛西敬之会長だが、その葛西氏に入れ知恵をしたのが、神社本庁の田中恆清総長と神道政治連盟の打田文博会長だと囁かれている」という。真相は定かではないにせよ、田中・打田コンビといえば、昨今の「神社本庁・不動産不正取引疑惑」(過去記事参照https://lite-ra.com/2018/09/post-4272.html)でも頻繁に名前が取り沙汰されるなど、神道界で強権的支配を強めている実力者だ。
いずれにしても、靖国神社の理念が「祖国を平安にする」「平和な世を実現する」などというのは詐術であり、その本質は国家のために身を捧げる“新たな英霊”を用意するためのイデオロギー装置に他ならない。