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肺がんを告白した大林宣彦がそれでも映画をつくり続ける理由「映画には、世界を戦争から救う力がある」

 平和について考え、その尊さを伝えるために、映画というのは格好のメディアである。大林監督は映画を「面白く、楽しく歴史を学ぶ学校」と呼び、「風化せぬジャーナリズム」と称する。だからこそ、未来の日本の映画作家にも期待を寄せるのだ。「キネマ旬報」05年8月下旬号ではこのように語っていた。

「これからの若い人たちは、現実に戦争というものがあった歴史の中から自分たちが出発したんだということを考え、忘れられてしまった戦争から、自分たちが何を発見できるかと考える戦争映画を作る義務があると思います。彼らの現実の中には例えば、日の丸、君が代問題というものがあり、そのことを考えるということは、やはり、かつてあった戦争を考えるということですから。戦争というものを無視して、彼らが日本の映画作家になりうるということはありえないと思います」

 しかし、そのための映画は、ただ戦争を描けばいいというものではない。むしろ、戦争映画に安易なヒロイズムをまぶしてしまうことにより、一見戦争の悲惨さを描いているようでいながら、観客に与える影響はむしろ「戦争賛美」となってしまうこともある。その代表が映画『永遠の0』となるだろう。

『塚本晋也『野火』全記録』(洋泉社)におさめられた塚本晋也との対談のなかで大林監督は、『永遠の0』も名指ししながら、ヒロイズムに流れがちな最近の戦争映画の流れを批判している。

「塚本君は「キネマ旬報」のインタビューで、「戦争映画でカタルシスを与えるようなことは絶対やっちゃいけない」とも言ってましたね。僕ね、あれに共鳴したの。“カタルシス”って実は恐ろしい。どんな悲しい悲惨な映画をみても「悲しい」って泣くと、観客はホッとするんだよね。だから戦争映画を悲しく描くのは恐ろしいことでね。どんな反戦映画を作っても「お母さん、お国のために行ってきます」という兵士に対して、観客が「お兄ちゃんかっこいい!」とカタルシスを持ってしまったら、今度戦争が来た時に「僕もあんな風に戦争でカッコよく死のう」と思ってしまうんです。ウチの恭子さん(引用者注:大林監督の妻で映画プロデューサーの大林恭子氏のこと)のお兄さんは海軍で亡くなったのだけど、この方たちは「二度と未来の若者たちには、自分たちのように戦争で殺される体験はして欲しくない」と願いながら死んで行ったのです。その戦争を描いて、また同じことが繰り返されたら、これ、犯罪ですからね。確かに戦争自体を見るのは辛いわな。だから、辛くない戦争映画を作っちゃ犯罪なんだよ」
「『永遠の0』(13年)もカタルシスが過剰。あの映画を観て泣いていたら、あなた方の子供が皆戦争に行っちゃうよ。映画って怖いくらい影響力が強いんです」

 大林監督ががんの宣告を受けたのは、最新作となる『花筐』がクランクインする直前、昨年8月のことだった。「余命3カ月」の宣告まで受けるが、抗がん剤が効き、奇跡的に回復。映画も完成までこぎつけ、今年12月に公開される予定だ。『花筐』は、檀一雄が1937年に出版した同名小説の映画化。日米開戦直前を舞台にした青春群像劇で平和と命の尊さを描く内容になっているという。

 がんは寛解したわけではなく、現在も治療は続いているそうだが、「余命は未定」となったそうだ。これからも映画をつくり続けてほしい。日本の映画作家が大林監督から学ぶべきことはまだまだたくさんある。

最終更新:2017.12.05 01:17

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