つまり、白洲でさえ、松本案が明治憲法と大差なかったと認識しており、これではGHQから別の案を出されてもいたしかたがなかった、と言っているのである。さらに、昨今の「押しつけ論者」が最大の標的にする憲法9条については、白洲は極めて高い評価を下しているのだ。
〈しかし、その(引用者駐:新憲法の)プリンシプルは実に立派である。マックアーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。押し付けられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか。〉【脚註4】
また、1968年、同じく70年安保の時代では、法学者・鵜飼信成によるインタビューのなかで、憲法9条が日米関係において日本を有利にする武器になると述べている。
〈こういう状況になってみると、「戦争放棄なんてこと、自分で書いたんじゃないか」と言われると、向こう(引用者駐:アメリカ)が困りますわね。だから僕は憲法調査会にでも、「憲法というのはアメリカ側が日本側に紙に書いて押しつけたものであるということを主張しなさい」と言っているのですが、これは国の将来の利害関係を考えた時にはあまり大きな声で言えないことですけれども、実際は、自分で「やってはいけない」ということを言っておいて、今度は、「兵隊を作ってどうかしろ」と言うのは、話がおかしいではないかということが一番大きなことだとぼくは思いますね。日本人が勝手に書いたのなら、「今度は軍備出来るように直せ」ということは言えるかもわからないけれども。〉【脚註5】
白州は吉田茂の片腕として働いたが、吉田内閣をはじめとする戦後の親米保守内閣は、対米追従を利用しながら日本の国益を守ってきた。そして、白州も語っているように、吉田茂は憲法を盾にして朝鮮戦争への出兵を拒み、それが日本の経済復興を導いた。
対して、2016年現在の日本国首相・安倍晋三はどうか。安倍は、しきりに憲法は「アメリカに押しつけられた」という。
「制定過程(が問題だ)。大東亜戦争に負けて、日本が占領下にあるときにですね、これは進駐軍がつくった憲法ですね」(2011年、BS番組で)
「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人がつくったんじゃないですからね」(2012年、ネット番組で)
安倍は、吉田のように対米外交上のしたたかな戦略から「押しつけ論」を語っているのではない。逆だ。祖父・岸信介の悲願であった改憲を、自分の手で成し遂げるために、戦争すら認める。それが安倍晋三なのだ。事実、安倍はアメリカに軍隊を出せと言われ、安保法制を強行し、集団的自衛権を解釈改憲によって可能にしてしまった。