一般に、こうした言明は“強弁”といわれ、論理的な議論のなかでは禁じ手とされる。『ゲーデル、エッシャー、バッハ』の共訳でも知られる数学者・野崎昭弘氏の著書『詭弁論理学』(中公新書)によれば、強弁が誕生するのは「『泣く子と地頭』の言葉に象徴されるように、わがままが通る幼児期」であり、それは「相手がいうことを耳に入れず、ひたすら『自分がいいたいことをいいつのる』という点に特徴がある」という。こうした「小児型強弁」をする人物によくありがちな性格的原因として、野崎氏は以下の5点を挙げる。
(1)自分の意見がまちがっているかもしれないなどと、考えたこともない。
(2)他人の気持ちがわからない。
(3)他人への迷惑を考えない。
(4)世間の常識など眼中にない。
(5)自分が前にいったことすら忘れてしまう。
まさに安倍政権の政治的特徴そのものではないか! ただし、同書によれば、「権力者や有能な指導者たちは、思いついたことをただいいたてるような、単純な強弁術は使わ」ず、たとえば事柄をある原理的な基準を設けることで分断させる“二分法”などを用いて、威嚇を伴う詭弁を弄するのが普通だという。中世西洋の魔女狩りがそれだが、そういう意味では橋下大阪市長はまさに二分法の体現者だと言えるし、安倍首相もまたレッテル貼りによって“敵”を一方的に仕立て上げる手法をよく使う(「日教組!日教組!」など)。これは、ヒトラーによるユダヤ人迫害・虐殺の例を出すまでもなく、独裁者が例に漏れず用いるやり口だ。
だが、菅官房長官は彼らと違い、少なくとも直接的・感情的には“敵”をあげつらったりしない。同書で解説されている「詭弁術」のなかには、前述の二分法のほかに、「それはそうだが、こういうこともある」と重箱の角をつく相殺法なども紹介されているが、沖縄の基地問題への対応を見てもあきらかなように、菅官房長官の口ぶりからは、いささかも相手に譲る素振りがないのである。