「なかった本」によると、隠蔽の首謀者は震災直後に内務大臣に就任した後藤新平であり、後藤は前出の治安担当者・正力松太郎にこんなセリフを語ったという。
〈「正力君、朝鮮人の暴動があったことは事実だし、自分は知らないわけではない。だがな、このまま自警団に任せて力で押し潰せば、彼らとてそのままは引き下がらないだろう。必ずその報復がくる。報復の矢先が万が一にも御上に向けられるようなことがあったら、腹を切ったくらいでは済まされない。だからここは、自警団には気の毒だが、引いてもらう。ねぎらいはするつもりだがね」
三十八歳の正力は百戦錬磨の後藤のこの言葉に感激し、以後、顔には出さずに「風評」の打ち消し役に徹した。これが後藤が打ち明けた腹のうちだった〉
まるで見てきたかのような描写だが、実はこの発言を裏付けるような史料、証言、文書はどこを探しても存在しない。
当然だろう。そもそも、正力は冒頭でも指摘したように、1944年の講演でもデマを認めたうえで反省の意を示し、戦後には存命中に自身の名のもと出版しているのだ。朝鮮人の暴動が実際にあってそれを隠蔽したのだとしたら、戦後になってもわざわざ自らの失態を記録し続けたりはしないだろう。
では、「なかった本」は何を根拠に書いているのか。同書には唐突に、池田恒雄なる人物が登場し、上で引用した後藤から正力へのセリフを証言としている。逆に言うと、それだけが、この見てきたような描写と政府隠蔽説の根拠なのだ。
しかし、この唯一の証言者である池田恒雄はベースボールマガジン社の創業者だが、震災当時、政府の要人でも目撃者でもない。池田が戦後にこの話を正力松太郎から聞いたとしているだけ。つまり、ただのまた聞きなのだ。そのうえ、池田は「なかった本」出版前に亡くなっているから、現在では第三者が証言を確認することはできない。これに歴史資料的価値を認めろというのは、どう考えても無理な話だろう。
しかも、「なかった本」はある重要な事実を伏せていた。証言者の池田恒雄は、『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』の著者・加藤康男氏にとって妻の父親=義父にあたる人物なのだ。つまり、彼らの主張を支えているたったひとつの根拠は、著者の親族に昔聞いたというまた聞きの話にすぎなかったのである。
これだけで「朝鮮人虐殺はなかった」「暴動はデマではなかった」という歴史修正主義を大声でがなるのだから、そのデタラメぶりには唖然とさせられる。