『ペテン師と天才』(文藝春秋)
2014年を振り返ると、ビッグニュースのひとつにあげられるのが佐村河内守氏のゴースト問題だろう。耳の聞こえない天才作曲家の佐村河内氏が、実は全聾ではなく作曲も新垣隆というゴーストライターの手によるものだった──。
このスキャンダルは、メディアにも波及した。佐村河内氏を“現代のベートーベン”と紹介した新聞、テレビ、雑誌に、“ペテンに加担した”と非難が殺到。多くのメディアが謝罪する事態になった。中でもNHKは、ドキュメント番組『NHKスペシャル』(13年3月31日放映)で真っ先に佐村河内氏を取り上げたとされ、後に検証番組を放映し、おわびする事態にいたった。
だが実はNHKの紹介以前に、佐村河内氏をメディアの寵児にする起爆剤の役割を果たした人物が存在した。それが大御所作家・五木寛之氏だ。
先日、発売された『ペテン師と天才』(文藝春秋)は、「週刊文春」でゴースト問題をスクープした作家・神山典士氏によるノンフィクションだ。そこには佐村河内氏、そしてゴーストライターの新垣隆氏の半生や関係を追いながら、“虚像の作曲家”がいかに誕生し破綻していったかが丹念な取材で描かれているのだが、その中に佐村河内氏がどのように有名になっていったかの記述がある。少し長くなるがその経緯を追っていきたい。
96年に佐村河内氏と出会い、2曲のゴーストを手がけていた新垣氏に3曲目の依頼がきたのは99年のことだった。
「新垣さん、今度は200人編成のフルオーケストラが新垣さんの曲を演奏してくれます。録音の時は指揮もしてください。ゲームの製作発表会で演奏する、約20分の交響曲を作曲してほしいのです」
この「ゲーム」とはカプコンが製作する「鬼武者」という戦国を舞台にするアクションゲーム企画だった。佐村河内氏はこの企画の音楽監督に指名されていたのだ。
日本経済が冷え込み、音楽業界にも不況の波が押し寄せていた時期だった。そんな時、200人のフルオーケストラで指揮をするという依頼に新垣氏は心が動き、曲を作り上げる。一方、佐村河内氏もまた、この作品をきっかけに欺瞞の自己プロデュースを加速させていくのだ。