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悪評紛々! 安倍政権の「人づくり革命」ネーミングのルーツは日本会議の設立宣言か、池田勇人のスローガンか

「人づくり」の背後に国家主義と新自由主義のグロテスクな結合

 これらの反応は、現在の安倍政権の「人づくり革命」をめぐる巷間の反応と、まるきり同じである。しかも、似ているのはスローガンに対する否定的反応だけではなかった。池田の「人づくり」構想に対する長洲の批判は、安倍首相の「人づくり革命」を考えるうえでも極めて示唆に富むものだ。

 報道によれば、安倍首相はこの「人づくり革命」によって、幼児教育や大学などの教育費の無償化や、人材投資や地域経済、サービス業などの生産性向上の実現を目指し、さらに大学経営陣に企業の社外取締役にあたる民間人の起用を義務付けるという。実際、「日経ビジネス」(日経BP社)5月29日号のインタビューでも、「企業外に人材教育システムを作る」ために「地方の大学をより実践的な教育の場として充実させる」として、「生産性向上のための改革と人づくりのための改革に一体的に着手」すると意気込んでいた。ようするに、「人づくり革命」とは、文教行政と産業・経済・労働行政を横断、あるいは一本化した施作をもって、経済効率を上げる人間を“つくりあげる”ということのようだ。

 一方で長洲は、池田が「人づくり」なるスローガンのもとで行おうとしているのは〈倍増計画達成に必要な量動力の育成と、新安保体制に見合う愛国心の涵養、つまり経済と精神の二本立てである〉と看破していた。すなわち、資本主義(とりわけ現代的にはグローバル資本主義と新自由主義)のもとで要求される国民の労働力及び国際競争における優越は、国内的には強固な統合的意識を必要とし、その経済的要請に沿って“国民意識”を植え付けるのが、まさしく愛国教育や道徳教育なのである。

 そういう意味では、安倍首相の「人づくり革命」もまったく同じなのだ。国家主義と新自由主義が同居している首相の、国家と経済効率を最優先して個人の尊厳など一顧だにしない姿勢を体現していると言えるだろう。

 そして、この姿勢は、日本会議に代表される極右勢力にも共通するものであり、ルーツがどちらであっても、同じグロテスクな思想をベースにしていることには変わりはない。

 いずれにせよ、〈“人づくり”といった、何か人間を思おうままにこねあげるみたいな響きの日本語に抵抗感をおぼえぬようなセンス〉(長洲)には、十分に警戒せねばならないことだけはたしかだろう。

最終更新:2017.12.06 06:54

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