ニュースにコメントする芸人たちはなぜ「反権力」になれないのか? マキタスポーツが原因を分析する

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マキタスポーツオフィシャルホームページより


 お笑い芸人がワイドショーの司会者やコメンテーターを担当するのが当たり前になってからずいぶんと時が経った。『ワイドナショー』(フジテレビ)の松本人志、『ノンストップ!』(フジテレビ)コメンテーターの小籔千豊、『バイキング』(フジテレビ)金曜日の雨上がり決死隊、『スッキリ!!』(日本テレビ)司会の加藤浩次、『白熱ライブビビット』(TBS)コメンテーターのオリエンタルラジオ・中田敦彦、千原ジュニアなど、ワイドショーに進出したお笑い芸人は枚挙に暇がない。そんな状況を受け、9月30日放送『ダウンタウンなう』(フジテレビ)にゲスト出演した宮根誠司が、松本人志に対して「ニュースを斬るのは、局アナ出身の司会者の仕事なのに、なんで僕らの職場に来るの?」と嘆いて話題になったのも記憶に新しい。

 ただ、彼らお笑い芸人は本当に「ニュースを斬る」ことができているのだろうか?(宮根もできていないような気もするが、その議論はここでは取りあえず置いておく)

 そんななか、お笑いや音楽に関する綿密な分析と批評を舞台上でのネタに昇華する芸風で支持を集める芸人のマキタスポーツは、「TV Bros.」(東京ニュース通信社)2016年7月30日号の連載コラムのなかで、こう述べていた。

〈「政治と笑い」って日本人は不得手ですよね。政治家をおちょくるやつで、面白いの見たことない〉

 確かに、彼の言う通りだろう。日本のお笑い芸人はネタに政治や社会的なテーマを取り入れて「風刺」することを極端に苦手とし、メジャーなバラエティ番組でそういったジョークはほとんど出てこない。

 一方、アメリカではバラエティ番組のなかに政治風刺を交えたネタを入れるのは至極当たり前に行われている。たとえば、ジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド、ビル・マーレイ、エディ・マーフィー、マイク・マイヤーズなどを輩出し、コメディアンにとってのスターへの登竜門となっている長寿番組『サタデー・ナイト・ライブ』では政治風刺のコントを毎回行っており、ヒラリーとトランプによる大統領選討論会を再現したコントが話題となったのも記憶に新しい。

 では、なぜ日本のバラエティ番組では風刺が笑いのなかに取り入れられないのだろうか? マキタスポーツは日本において欧米的な風刺の表現が生まれにくい要因のひとつとして、現在の日本のお笑い業界固有の状況をあげている。

〈日本は縦社会です。人間関係も縦割りな序列的構図が基本。それを基に“揶揄い”も生まれます。例えば先輩や、上司、コミュニティ内のリーダー的人格は権威なので、笑いを生むに当たっては資源たり得るのですが、それはフィクショナルなコント内でのこと。ほとんどの場合、お笑いは、テレビのバラエティなどでドキュメンタリー的に見せられているわけで、お笑い芸人がテレビを通して見せているものは、自分の身の回りにある「身内」をまんまとトレースした「社会」だったりします。結果、例えば、若手が、ビートたけしさんの頭をはたくと、どういうわけだか他人事なのに“ゾッとする”ということが起こる。なので、視聴者は、社会の中で、個の主張としての笑いより、業界の生態関係図に惹かれながら、笑い的な何かを見出しています。日本のお笑いには目上には歯向かってはいけないという「道徳」が存在するのでした。(中略)視聴者は、お笑い社会が安定的に回っていることで「安心」を見たいのです。これは、政治の世界で言えば、政策よりも政局を見て楽しんでいることと同じです〉(「TV Bros.」16年10月8日号)

 コント番組もほとんどつくられなくなり、ひな壇でいかに上手く振る舞うかが芸人にとって最も重要なスキルとなった現在のお笑い業界において、大事なのは「空気を読む」ことである。そこに、敢えて場の空気に波風を立てるような「権力への噛み付き」や「横紙破りの表現」は求められていない。こういった状況のなか、もしもそういった表現を強行してチームプレイを乱す芸人が出てきたとしたら、「圧力を受ける」云々の前に、まず番組制作サイドから呼ばれなくなるだろう。それは、いまのお笑いのトレンドではないからだ。

 本稿冒頭で列挙したような第一線の芸人たちは、現在のお笑いがそういったルールで動いていることを熟知している。だから、情報番組のなかで彼らは「世間の声」を代弁する「優等生」として振る舞う。中田敦彦がベッキーのことを「あざとい」と断罪したことが象徴的なように、情報番組に出る芸人たちは、世間の常識に抗って笑いを生み出す存在ではなく、世間の常識を体現するだけの存在になってしまっているのだ。

 だから、『ワイドナショー』の松本人志や『ノンストップ!』の小籔千豊のように、もはや政権与党の公式コメンテーターのごとく振る舞う人間が出てくるのもまったく不思議な流れではない。安全保障に関する問題にせよ、女性の社会進出に関する問題にせよ、彼らはその「保守オヤジ」っぷりを遺憾なく発揮しているが、それも、どんどん保守化する世間の空気に過剰適応した結果なのだろう。

 実際、マキタスポーツも、芸人たちは政権風刺を「やれない」のではなく「やらない」のだと分析する。一流の芸人であれば、技術的にはそのようなネタをつくることはたやすい。しかし、前述したようなゲームのルールを把握している彼らは風刺芸には手をつけない。マキタスポーツは、綾小路きみまろを例に、こう説明している。

〈綾小路きみまろさんは、年寄りイジメなネタをやりますが、“安倍イジメ”みたいなネタも出来ると思うのです。でも、しない。それは彼が、徹底して普遍的なターゲットを絞ったビジネスマンであると同時に、お年寄りをネタにするのが“大好き”だからだと思われます。大は小をかねるじゃないですけど、あそこまで大衆と出会った芸を作り上げた人なら、政権批判みたいなネタだってマインドがそれを許せば能力的には全然できます。でも、それをしない〉(「TV Bros.」16年10月8日号)

 しかし、この国のお笑いは本当にそれでいいのだろうか。ヒトラーを徹底的に揶揄したチャールズ・チャップリン、英国王室、教会、軍人、警察など硬直した権威の欺瞞を茶化し続けたモンティ・パイソンなどの伝説的なコメディアンの例を出すまでもなく、お笑いやコメディというものは、大衆が権力に対して持ち得る数少ない武器として機能してきた。

 映画ライターの高橋ヨシキ氏は、モンティ・パイソンが「アーサー王伝説」をパロディ化し王室や教会を徹底的にバカにし尽くした映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』を題材に、コメディの本質的な役割についてこう説明している。

「まあ、もともとコメディっていうのはそういうことをするジャンルなはずですね。つまり、権力をもっている方が強いに決まってるんだから、もってない側は何が出来るかっていったら、何も出来ないんだったらただ押さえつけられるだけになってしまうんですけれども、その代わりこっちはギャグにして笑い飛ばすことぐらいは残されているっていう。それが許されなくなるんだったら、ホントそれは恐怖社会ですよね」(『すっぴん!』16年7月8日/NHKラジオ)

 しかし、いまの日本のお笑い芸人たちは、お笑いがもつ大切な役割を自らゴミ箱に放り投げようとしている。

 ウェブサイト『東京BREAKING NEWS』内の連載「ほぼ週刊 吉田豪」のなかで、ライターの吉田豪は、昨年4月に亡くなった愛川欽也が、かつて爆笑問題の番組にゲストで呼ばれたとき、二人から「司会業やってて、なにを一番大事にしたらいいんですか?」という質問に返した、こんな言葉を紹介している。

「日本もひっくるめて、世界中を見渡してみて、本当に理想の国ってあるかい? テレビやラジオでものをしゃべる人間は、いつもどんな時代が来ようとも、ユートピアが生まれない限り、野党じゃなきゃダメなんだ。野党が今度政権取ったら、また野党になれ」

 愛川欽也のこの言葉を、ニュースコメンテーター芸人たちに聞かせてやりたい。
(新田 樹)

最終更新:2017.11.12 02:13

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