佐藤浩市がテレビの萎縮・右傾化に危機感表明!「このままだとナショナリズムに訴えるドラマしか残らなくなる」

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「GOETHE」(幻冬舎)15年11月号

 昨日の放送をもって、『報道ステーション』(テレビ朝日)のキャスター・古舘伊知郎氏が番組を降板した。これは本サイトで繰り返し報じているように安倍政権による報道圧力にテレ朝が屈した結果だが、同局に限らず、いま、大手メディアは安倍政権に怯え、「事なかれ主義」に徹している状態だ。

 しかし、これは報道だけの問題ではない。その問題を提起するかのように、あの大物俳優がこんな苦言を呈した。佐藤浩市だ。

「ナショナリズムに訴えかけるようなドラマしか、もう残された道はないんだろうか。冗談ですが、そんなことを口にしたくなるほど、テレビドラマの現状は方向性を見失っていると思う」

 これは3月30日の朝日新聞に掲載されたインタビューでのこと。タイトルは「方向性見失うテレビドラマ、希望はどこに」。佐藤は、現在のテレビドラマが医療ものと刑事ものに集中し、かつ視聴率も苦戦していることを挙げつつ、テレビドラマの“無害化”を批判している。

「お茶の間に届けるテレビドラマにも、かつては映画のようなイデオロギー性をはらむ、偏った番組が放映される余地がありました。それがいつしか、どこからもクレームがつかない安全な方向を向いていく」
「これだけ視聴者の裾野の広いメディアだけに、難しさはあるでしょう。でもそうやって現場で自主規制を重ね、表現の自由を放棄してしまっては、自らの首を絞めていくだけです」

 つまり佐藤は、テレビドラマも「偏った番組」は自主規制されるなかで、ナショナリズムを煽る内容ばかりになるのではないか?と危機感を口にしているのだ。

 さらに、“欧米に比べて日本の俳優には社会的発言が少ない”という問いには、 「スポンサーとの関係性」という日本の特異な問題点を述べた上で、「世間もメディアも我々に社会的、政治的発言を求めていない側面もある。この島国では残念ながら、個人が自由に発言できる状況にはないのが現実だと思います」と述べている。俳優が置かれている立場に佐藤が疑問をもっていることがわかる回答だが、「個人が自由に発言できる状況にはない」という指摘は、いま日本で強まる同調圧力や、多様な意見に対する偏狭な批判の多さを佐藤も感じているのかもしれない。

 それにしても、これまで社会的・政治的な話題を語ってこなかった佐藤が、こうしてメディアに意見したことに驚いた人も多いだろう。だが、昨年出演した戦争特番でも、佐藤は自身の思い、危機感を言葉にしていた。

 それは、昨年3月9日に放送された『戦後70年 千の証言スペシャル 私の街も戦場だった』(TBS)。これまでは俳優として“自らの素地があらわになる”ノンフィクションへの参加は断ってきたという佐藤だったが、「残り少なくなった当事者の人たちに、どんな心境で戦地へ赴いたのか、肉声を聞きたかった。役者としての欲求で受けた仕事です」(同上)という理由でナビゲーターを務めた。

 そんな同番組が取り上げたのは、米軍機に取り付けられたガンカメラが撮影した機銃掃射の実態だった。佐藤はその機銃掃射のターゲットにされた場所に出向き、体験者や遺族に取材。国内の惨状を伝えながらも、同時に米軍パイロットたちの心理にもスポットを当て、殺される側も殺す側も日常や心を引き裂かされる戦争はいかに不条理なものであるかをあぶり出した。

 この番組は、第11回日本放送文化大賞のグランプリ候補や2015年日本民間放送連盟賞テレビ報道番組部門の優秀賞、第52回ギャラクシー賞選奨を受賞するなど、高く評価されたが、その番組の最後を、佐藤はこんな言葉で締めくくっている。

「世界のいろいろなところでいまも戦争は行われています。戦争は人間の愚かな行為です。しかし、人間は過去に学ぶことができます。戦後と言いつづけられるよう、私はこれからも体験した方々や遺族の話に耳を傾けつづけたいと思います」

 この言葉通り、佐藤は同年の終戦記念日に放送された『私の街も戦場だったⅡ 今伝えたい家族の物語』(TBS)でも、人間爆弾と呼ばれた特攻兵器「桜花」をレポート。米軍からは「バカ爆弾(BAKA bomb)」とさえ言われた無謀なこの桜花によって800名を越える若者たちが命を落としたが、佐藤は遺族に話を聞くため訪ね歩き、スタジオでは取材の感想をこう述べた。

「(戦争は)国が起こすのであって、でも、政治家の大義は“民のため、国のため”。そこで何でこんなにボタンを掛け違っていくのだろう。それをほんとうに感じましたし、何よりも重たいと思われている命を軽んじることって何なのだろう。それがいま現在、我々も直面しているんじゃないのかな、そういうふうに思いました」

 戦争の悲劇を過去のものとしてではなく、いま、まさに直面している問題だと語った佐藤。このメッセージと併せて、今回の「ナショナリズムに訴えかけるドラマしか残されていないのでは」という発言を読むと、日本に流れる不穏な空気に佐藤は強い不安を感じているのだろう。

 じつは、佐藤は以前にも、「大戦を描いた映画への出演は一度だけ。どこまでが反戦と言えるのか、考えあぐねた結果」(朝日新聞2015年3月7日付インタビュー)だったことを明かしている。そうした考え方の底流には、父・三國連太郎の影響が感じられる。実際、このインタビューでは、「中国出征時の体験を繰り返し語った父、故・三国連太郎とは、戦争がいかに日常をおかすのか、そんな話をしたこともある」とある。

 ご存じの方も多いだろうが、三國といえば一貫して反戦を訴えてきた反骨の俳優だ。しかもそれは筋金入りで、三國は中学時代から軍国主義に反発し、徴兵を逃れるために逃亡。そのときの思いを、三國はこう語っている。

「徴兵を逃れ、牢獄に入れられても、いつか出てこられるだろうと思っていました。それよりも、鉄砲を撃ってかかわりのない人を殺すのがいやでした」(朝日新聞1999年8月13日付)

 その後、逃亡した三國は特高に連れ戻され戦地に送られたが、「一発も鉄砲を撃てなかったいちばんダメな兵隊」(川名紀美『女も戦争を担った』冬樹社)と振り返っている。それでも、三國は言う。「私はこれまでの人生にいろんな汚点を残しましたがね、あの戦争に加担したことがいちばん大きな汚点だったというふうに感じているんです」と。

 三國と佐藤はけっして仲の良い親子ではなかった。というよりも、ふたりの確執は事あるごとに囁かれていた。実際、ふたりにとって実質上の初共演作となった映画『美味しんぼ』の制作発表でも、佐藤が「俳優はサービス業」と話すと三國が「サービス業などという考え方は間違っている」とすぐさま批判するなど、マンガのなかの海原雄山と山岡士郎を地で行く不仲ぶりを見せつけていたくらいだ。

 だが、だからといってふたりは、わかり合っていなかったわけではないだろう。13年に三國は逝去したが、そのお別れの会で、佐藤は三國を「ひどい父親」と言いながらも、「それ以上に僕に残してもらったものがある。僕がここに立って、やりたいと思える芝居をやれるのは三國連太郎という人がいたから」「彼から受け取ったものは父親としての人生より数倍濃厚なものだったかもしれない。自分がどこまで理解しているかわからないけど、それを自分の中で守って行きたい」と語っている。

 俳優として、そしてひとりの人間として、佐藤が三國から受け取ったもの。そのなかには三國が最期まで抱えもった戦争への思いもあるだろう。戦争を憎み、差別を憎み、権力を批判しつづけた三國だが、今回、佐藤が述べた「ナショナリズムに訴えかけるようなドラマしか、もう残された道はないんだろうか」という問いかけは、現在の社会とメディアの状況を的確に捉えたものだった。どうか佐藤にも、俳優として三國の反骨心を今後も継承してほしいと願うばかりだが、最後にもうひとつ、前述した昨年3月のインタビュー記事から、佐藤のメッセージを紹介して締めとしたい。

「戦後70年というのは、70年間戦争をしてこなかったということ。これを未来永劫続けていくために、どんな小さな声であっても、我々が継承していかなければならない」
(水井多賀子)

最終更新:2017.11.24 09:34

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