東京五輪で一掃? 「エロ本」消滅危機の中、80年代エロ本が生んだ濃密なアングラカルチャーを懐かしむ

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本橋信宏・東良美季『エロ本黄金時代』(河出書房新社)

「エロ本」がいま、絶滅の危機に瀕している。

 出口のまったく見えない出版不況により、あらゆる本、雑誌の売れ行きがどんどん落ち込んでいる昨今だが、そのなかでもことさらに深刻なダメージを受けているのが、「エロ本」業界だ。

 インターネット上に落ちている無料アダルト動画などに顧客を取られ、2000年代中盤以降、いよいよその不況が表面化。英知出版、司書房、東京三世社といったアダルト系の有名な出版社が次々と姿を消した。また、出版社がなくならないまでも、成人誌、特に実写系成人誌の刊行をストップさせる出版社も後を絶たない。ワニマガジン社はアダルトコミック部門に比重を移し、実写系のエロ本は消滅。コアマガジンも「ビデオ・ザ・ワールド」をはじめとして実写系成人誌の休刊が相次いだ。つい先日も、25年以上の歴史をもつ素人投稿誌「ニャン2倶楽部」が編集部ごとマイウェイ出版に移籍するとの発表が出されたばかりだ。

 そして、東京オリンピックが開催される2020年、エロ本業界はさらに窮地に立たされるのではないかと言われている。なんと、コンビニから成人誌がなくなるのではないかと噂されているのだ。五輪誘致の時にコンビニに並ぶエロ本を見て「IOC視察団が顔をしかめた」との話もある。中小規模の書店が次々と閉店し、コンビニが重要な販路となっている現在のアダルト系出版社にとって、これは死活問題だ。しかし、国際的な大規模イベントの際に、風俗街などが無慈悲につぶされるのはよくあること。例えば、1990年に大阪で「国際花と緑の博覧会」が開催された時には、日本橋・梅田・難波のソープ街が一掃されたという例もある。もしも東京都がコンビニに並ぶ成人誌に危機感をもっているなら、この噂は現実のものとなるだろう。

 このように、現在では死屍累々なエロ本業界だが、思い返してみれば、80年代のエロ本は、文化の最も「エッジ」な部分を担う存在であった。そんなエロ本華やかなりし時代を振り返った書籍、『エロ本黄金時代』(本橋信宏・東良美季/河出書房新社)が先ごろ出版された。

 今かろうじて生き残っているエロ本は「本」とは名ばかりで、商品の主役はアダルトビデオメーカーから借りた素材をそのまま収録した付録のDVD。肝心の「本」の部分は、DVDの内容をまとめただけの、あってもなくてもいいような薄い冊子でしかないのが実情だ。

 しかし、かつてのエロ本には、濃密な「カルチャー」が息づいていた。「おたく」という言葉の創始者である中森明夫、後に『危ない薬』(データハウス)を上梓した青山正明、伝説的なジャズミュージシャン阿部薫の妻にして作家の鈴木いづみ、『物語消費論――「ビックリマン」の神話学』(新曜社)などの論評で時代を鋭く捉えた批評家の大塚英志……。「エロ本」はこういった人材を多く輩出している。だが、どうして「エロ本黄金時代」のエロ本は世の中の最先端を捉えることができたのか?

 それは、「エロさえ押さえておけば読み物はなにを載せてもいい」という、現在では考えられない自由過ぎる価値観が80年代のエロ本には息づいていたからである。その先便をつけた出版社の一つが白夜書房だった。同社の編集者たちは「エロ本なんてドカタと変態が読むものだ」と言われ、わざと低俗な誌面をつくっていた業界の常識に疑問を投げかけた。そして、赤瀬川原平、荒木経惟といったサブカルチャー色の強いラインナップを取り揃えて「ウィークエンドスーパー」「写真時代」「ビリー」といった雑誌を次々と生み出していく。同社の目論みは当たり、これらの雑誌は大学生などからも支持された。

 彼らがエロ本業界の慣例を崩した裏にはどんな考えがあったのか。現在、白夜書房の系列会社コアマガジンにて代表取締役社長を務めている中沢慎一氏は、前掲『エロ本黄金時代』でこう語っている。

〈ただ単に女の裸並べて売れればイイなんて本は作りたくないじゃん? 他の部分で、ライターの優秀な人見つけて、面白い文章で本が売れたらイイなあと思うよな。いい原稿が載れば雑誌にパワーが出るから、より多くの人にアピール出来るだろうし〉
〈俺はさあ、ある部分をキッチリ押さえておけば、全編エロじゃなくてもいいんじゃないかと思ったんだよ。エロ本とはいえ雑誌なんだから、雑誌における遊びの部分というか、幅があった方がいいんじゃないかと。俺は売れればいいと思ってたから、押さえるところを押さえていれば、すべて読者が歓ぶものばかりじゃなくていいんじゃないか、売れるんじゃないか?〉

 こういった、エロ本でありながらも「活字」にこだわる姿勢は、ある伝説的な雑誌につながっていく。1983年に創刊し2013年まで続いた「ビデオ・ザ・ワールド」だ。この雑誌はアダルトビデオに「批評」を持ち込んだ。メーカーとのしがらみをものともせず、「やめて田舎へ帰れ!」と誌面上で罵倒するなど、徹底して辛口の批評を掲載し続け一時代を築くことになる。

「ビデオ・ザ・ワールド」には、優秀なライターたちがどんどん集まった。藤木TDC、沢木毅彦、木村聡、そして、同誌の連載をまとめた『AV女優』(文藝春秋)を大ヒットさせ「アダルト業界のドキュメンタリー」というジャンルを確立させた永沢光雄……。

 そんななかでも、「ビデオ・ザ・ワールド」でメインライターの一角として大きな役割を担ったのが、奥出哲雄であった。本橋信宏は奥出哲雄に関し、『エロ本黄金時代』のなかで「エロ本にひとつの時代を作った奥出哲雄という人物。伝説の人だよね。エロ本でもしっかり文章を書いていいんだ、と思わされた人です」とまで語っている。

 彼の批評精神とはどのようなものであったのか。それは、東良美季による以下の発言に集約されている。

〈当時のピンク映画雑誌には村井実とか、川島のぶ子というライターがいましたが、奥出さんはその人たちにとても嫌悪感を持っていた。彼らは「ピンク映画はそもそも下劣なものである」という観点から書いていたからだったそうです。「村井実のインタビュー記事は、俺はとことん厭なんだ」「なぜ厭なのかと言えば、シモネタしか聞かないからだ」と話していました〉

 インタビュー企画ひとつとっても、女優のライフストーリーに迫るなど、エロを「カルチャー」と捉えて深く切りこんでいく。「ビデオ・ザ・ワールド」がこのような姿勢をとっていくにあたっての思いを前述の中沢社長は次のように語っている。ちなみに、中沢社長は「ビデオ・ザ・ワールド」の初代編集長でもあった。

〈それはまあ、AVもちゃんとした作品なんだからさ、作品として観るか単なるマスカキのネタと思うかで違うんだろうけど、作ってる人達は一生懸命作ってるんだろうから、観る側もちゃんと批評すべきだと、俺は単純にそう思ったんだよね〉

「ビデオ・ザ・ワールド」の熱量溢れる批評は読み物としてすさまじいパワーを放つ。当時、中沢社長は「すっかり過激派の機関誌みたいになっちゃったよお」とこぼしていたらしいが、その濃い誌面に魅せられ、村上龍、田中康夫、宅八郎、高橋源一郎といった錚々たる面々が愛読誌であることを公言する雑誌へと成長していく。

 しかし、これまで紹介してきた雑誌以上に、「エロ本は何をやってもいい」という自由を謳歌したのは、自販機本の世界だ。東良は本書のなかで「エロ本は、雑誌のパンクだと思った」と語っているが、それを最も体現しているのが自販機本だと言える。

 そのなかでも特別な存在感を誇るのが「Jam」(エルシー企画)、そしてその後継である「HEAVEN」(ヘヴン・エクスプレス)だった。これらの雑誌には、山口百恵のゴミ漁りを行い誌面でファンレターや使用済みタンポンを公開するといった鬼畜企画、高杉弾、山崎春美、鈴木いずみといったライター・作家の文章のほか、渡辺和博、蛭子能収のヘタウマ系漫画も軒を並べた。誌面は一般の雑誌には決して載らない、パンク・カルト映画などのアングラな情報で溢れていた。これでも、ジャンルは一応「エロ本」である。

『エロ本黄金時代』に自販機本の解説文を寄稿しているばるぼら氏は、自販機本についてこのような言葉を残している。

〈もともと購入時は表紙以外は手掛かりのない性質ゆえに、「エロ写真さえ載せておけばモノクロページは(どうせ誰も読まないから)好きに作っていい」という編集者の意識が如実に表れた、読者のことなど何も考えていない自販機本のはじまり。「もう書店で文化は買えない」と宣言した路地裏の革命がここにある〉
〈自販機本こそ、日本の出版史に残る汚点、いや分岐点だった。ここを境に編集者は「いかに求められていないことをするか」という遊びを読者に挑戦するようになってしまった〉

 本稿の始めの方で指摘した通り、単なるDVD付属冊子に成り下がってしまった現在のエロ本にこの頃の「自由」や「熱量」はなくなってしまった。ではなぜかつてのエロ本にはそれがあったのか。80年代にエロ本が「パンク」になった理由を、東良はこのように説明する。

〈何より大きかったのが、その作り手の多くが若かったということだ。若者は否応なく「性」を求めるものだが、同時に「居場所」や「生き方」も必要とする。何故なら我々は決して本能だけではセックス出来ないからだ。男と女(別に男と男、女と女でもいいのだが)が愛し合うには必ず「文化」が必要になる〉

 また、このようにも語っている。

〈エロ雑誌でもAVでも、はたしてエロが欲しかったのか? もちろんエロも欲しいんだけど、いちばん大切なのは、社会のエッジにいるような感覚だと思うんです。
 自分は疎外されてるなと感じる人間が、疎外感を共有できる。ピンク映画でもATG映画でもAVでも何でも、昔からそうだったと思うんだけど、ぼくはエロ本の中にはなんとなく、自分と同じようなやつらがいるなあ、みたいな感覚が大切だと思う〉

 現在、エロ本の主な読者層は40代以上と言われている。若者はネットに落ちている無料のエロ動画を観るため、エロ本など決して買わない。現在コンビニの成人誌棚に熟女系の雑誌がひしめいているのには、そういった事情がある。

 また、出版社サイドにも経営不振のためコストカットの嵐が吹き荒れている。若手のエロ本制作者が育つような環境はない。前述の中沢社長は〈俺は遠からぬ将来、アダルト雑誌は消えていく運命だと思ってる〉と語っているほど厳しい状況である。

 だが、いつの時代でも「疎外されているなと感じる人間」、「居場所」や「生き方」を必要としている若者は必ず存在する。80年代は「エロ本」がそういう人たちのための場所だった。今、その場所はインターネットのなかにあるのかもしれないし、もしくはもっと他の場所にあるのかもしれない。いずれにせよ、80年代エロ本カルチャーにあった遺伝子は、今でもきっとどこかで息づいているはずだ。
(田中 教)

最終更新:2015.12.17 11:32

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