実刑判決「黒子のバスケ」事件の被告が告白していた意外な過去とは

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「創」8月号(創出版)

 世間に大きな謎と不安を巻き起こした『黒子のバスケ』連続脅迫事件。本日、東京地裁で行われた判決では、威力業務妨害罪に問われた渡邊博史被告に、求刑通り懲役4年6カ月が言い渡された。前田巌裁判長が「同種の事件でも他に類例を見ないほど重大と言わざるを得ない」と述べたように、威力業務妨害罪としては重い判決が下った。

『黒子のバスケ』連続脅迫事件とは、2012年に人気マンガ『黒子のバスケ』(集英社)の作者である藤巻忠俊氏の母校である上智大学で不審物が発見されたことを皮切りに、イベント会場やメディアなどに次々と脅迫状が送付され、果てはコンビニにも“農薬をつけた菓子を置いた”という脅迫状と農薬入り菓子が届く事態に。「第2のグリコ森永事件に発展か」ともいわれた。

 当初は脅迫状の内容から作者への怨恨による犯行かと見られていた、この事件。しかし、初公判の意見陳述で自分のことを「無敵の人」と表現し、「これからの日本社会は『無敵の人』が増えこそすれ、減りはしない」「日本社会はこの『無敵の人』とどう向き合うべきかを真剣に考えるべきです」と主張。この「無敵の人」とは、渡邊被告の説明によれば「自分のように人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間」を指すネットスラングだというが、このキャッチーなキーワードの登場にマスコミは一気に飛びつき、“格差問題が生んだ犯罪”として位置づけるようになっていった。

 だが、「創」(創出版)8月号に独占掲載された獄中手記で、渡邊被告は〈自分は「無敵の人」という言葉を使ったことを後悔しています〉と、その心中を吐露していた。マスコミが話題になった事件を便利なキーワードで一括りにし、〈読者に何となく背景を分かったような気にさせる記事を一丁あがり的に量産しようとする意図が透けて見え〉たことへの批判だった。その一例が、「AERA」(朝日新聞出版)5月19日号に掲載された「無敵の人と無差別犯罪」という記事。これに対して渡邊被告は、〈自分の事件と名古屋駅前暴走事件と柏通り魔殺傷事件を安直に「無敵の人」という言葉で一括りにしただけのものでした〉と述べている。

 最終意見陳述を読んでから論評してほしい──手記でこう綴っていた渡邊被告だが、実際、7月18日に行われた公判での最終意見陳述では、初公判で自らが口にした “人生格差犯罪”“人生オワタ型犯罪”を撤回。そして、ある本を読んで〈自分が事件を起こしてしまった本当の動機も把握できました〉と発言したのだ。

 その本とは、精神科医の香山リカが差し入れたという〈「被虐うつ」という特殊な症例のうつ病の治療に取り組む精神科医の著書〉。香山によると、それは今年4月に発売された『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』(高橋和巳/筑摩書房)であるらしい。渡邊被告は〈いじめられて自殺を考えた時に凍結した「渡邊博史」としての自分の人生が再スタートしたという感じです〉と述べるほど、この本に感じ入ったようだ。

 というのも、渡邊被告は長く両親から“虐待”を受けてきた過去がある。この最終意見陳述でも、自分の父親を〈子供の頃からずっと食うや食わずの生活を送って大人になり〉〈子供に最低限の衣食住を与えることと勉強を強制することと子供から遊びを取り上げること以外の子供への接し方を全く知りませんでした〉といい、母親のことも〈母親が子供を育てた理由は(ネグレクトをした)祖父母への復讐〉と語る。

 さらに、〈感情や規範〉を両親(あるいはそれに相当する養育者)から与えられないと人や社会と適切につながっていけないこと、虐待を受けると“物の見方や感じ方が異常にネガティブになってしまう自覚もなく、その原因にも気がつかない”状態になること、そして〈生きる喜びや楽しみを感じられない人生〉となってしまうと解釈を述べ、自らを〈生きる屍〉と表現したのだ。

〈人間が努力の先に報いの存在を信じるためには、肯定的な自己物語が必要〉。──そう語る渡邊被告は、当初報道された「マンガ家を目指して挫折した負け組」という動機を否定するかのように、このようにも述べている。

〈自分は「黒子のバスケ」の作者氏の成功が羨ましかったのではないのです。この世の大多数を占める「夢を持って努力ができた普通の人たち」が羨ましかったのです。自分は「夢を持って努力ができた普通の人たち」の代表として「黒子のバスケ」の作者氏を標的にしたのです〉

 裁判資料ではじめて藤巻氏の“経歴”を詳しく知ったという渡邊被告。それを読み、〈自分は標的を間違えなかった〉と思ったという。

〈自分には部活に入ったり、中学の同級生から感化を受けてマンガを描き始めたり、ちゃんとした浪人生活を送ったり、大学でも部活に入ったり、やりたいことのために大学をさらりと退学して親元から自立してチャレンジしたりするという人生はありえないものだからです〉

〈自分は負け組ですらない〉という、渡邊被告の絶望。この犯行動機を個人的な心の歪みだと片づけることは簡単だが、児童虐待の件数が増え続けているこの日本で、彼と同じような痛みと心の絶望を抱え持った人は想像をはるかに超えて多いのではないか。

 前出の香山は、「彼は格差社会の犠牲者なのではなくて、親による子ども虐待の犠牲者」と述べているが、「無敵の人」という“便利なキーワード”を外してこの事件を見ることが、いまは重要なのではないだろうか。
(水井多賀子)

最終更新:2014.08.25 11:54

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