戦後もあった! 日本政府がつくっていたGHQ専用の慰安婦施設

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『戦後性風俗大系 わが女神たち』(小学館)

 6月21日、安倍政権は「河野談話検証結果」を公表した。「従軍慰安婦」への謝罪と反省を示した河野洋平官房長官談話(1993年)の作成過程で韓国側と事前に調整していたことを明らかにした結果、韓国側が猛反発、日韓両国のメディアは報道合戦を繰り広げている。

その喧噪とはうらはらに、まったく無視され続けている「慰安婦」問題がある。それが“RAA慰安婦”の問題だ。

RAAとは「Recreation and Amusement Association」の頭文字で日本名は「特殊慰安施設協会」という。終戦直後の45年8月18日、日本政府は国内に進駐してくる連合軍兵士による性暴行や性犯罪を危惧し、進駐軍向けの慰安婦と慰安設備の提供を決断。政府の要請をうけて花柳界が中心となり、同年8月26日、RAAが発足する。大蔵省(当時)の保証で日本勧業銀行(現みずほ銀行)が、当時の額で5500万円を融資していることからも「国策売春設備」、要するに従軍慰安施設の進駐軍版だったのは間違いあるまい。

RAA経営の公的慰安所は、終戦からわずか3ヶ月のうちに東京都内だけで25箇所を数え、横浜をはじめ、大阪府、愛知県、広島県、静岡県、兵庫県、山形県、秋田県、岩手県など日本各地に広がっていた。全国の公的慰安所の数は資料によると全部で45箇所。RAAで働く慰安婦の数は、東京都内だけで約1600人、全国で4000人にのぼったといわれている。

このRAAは、GHQによる公娼制度廃止の方針とアメリカ本国からの厳しい批判を受けて、発足から半年足らずの翌46年3月には廃止となった。活動期間が短く、また廃止後、進駐軍向けの慰安設備を既存の風俗街や「パンパンガール」と呼ばれた街娼が担ったこと、RAA慰安婦自身、一切、口をつぐんだことで歴史の闇へと消え去っているのが実情だろう。

そんななか、RAA慰安婦の貴重な肉声を扱った書籍が『戦後性風俗大系―わが女神たち』(小学館文庫)である。著者の広岡敬一(故人)は終戦直後から風俗を専門に撮影してきたカメラマンで、風俗ライターの草分け的な存在。その広岡が自らの集大成として記した同書で、真っ先に取り上げているのが『「小町園」のメアリー』なのだ。

終戦から2年後の47年頃、広岡は、東京都立川市の米軍基地近辺で、米兵専門の「パンパン」(当時の娼婦をさす俗称)となっていた自称「メアリー」と知り合い、彼女がパンパンとなったきっかけが「小町園」だと聞かされる。小町園とは、RAAが慰安施設第一号に認定した大森海岸の老舗料亭である。

戦中、東京に嫁いでいたメアリーは、空襲で嫁ぎ先も実家も焼け出され、大けがをした義母と年若い義妹を抱えて途方に暮れていた。そんなとき、見つけたのが街の立て看板と新聞の募集広告だった。

「戦後処理の国家緊急施設の一端として駐屯軍慰安の大事業に参加する“新日本女性”の率先参加を求む。女子事務員募集、年齢18才以上25才まで。宿舎、被服、食料全部当方支給」

こんな広告を見てRAAの面接を受けたメアリーは、そこで「女子事務員」とは「進駐軍専用の娼婦」の仕事だと知らされる。多くの女性は驚いて立ち去ったが、困窮状態にあったメアリーはやむなく慰安婦の道を選ぶ。メアリーは同書にその時の心境をこう語っている。

「身体を売る仕事だと知らされたときには息が止まるほど驚いたけど、私は夢中だった。とにかく亭主が帰ってくるまでは母と妹を食べさせなくちゃならないんだもの」

募集に応じた30名の女性たちは、メアリー同様に素人や処女も多く、簡単な性教育を施されて大森海岸の「小町園」へと連れて行かれた。45年8月28日夕刻、小町園に到着したばかりのメアリーたちを待っていたのは、ジープで乗り付けた米兵の群れだった。

「『5、6人の大男が目をぎらぎらさせて土足のまま飛び込んできたけど、本当に鬼みたいだった』メアリーもそのうちの一人に捕まり、小部屋に放り込まれて、布団の上に押し倒された。(中略)嵐は30分ほどで去った。犯された女たちは互いに抱き合って泣き崩れ、襲われなかった女たちも震えていた」(同書)

その後、総勢100名となったメアリーたち小町園慰安婦たちは、一日平均30人、メアリーは最高で55人の相手をし続けたという。

 メアリーの月給は、銀行員の初任給が80円だった当時、5万円にも達した。この破格の報酬が彼女の家族を助けてくれたとメアリーも認めている。

たしかにRAAに「強制性」はなく、「違法性」もないだろう。きちんと約束された報酬も支払われていた。だからといって「問題はなかった」と済ますには、なにか釈然としない感情が残る。それには理由があろう。RAAは風俗街復興までの「つなぎ」という特殊な役割を担っていた。戦争末期、遊郭で働いていた遊女たちの多くは、看護や食堂などの一般業務に徴用され、また空襲の影響もあり、すぐに風俗街を再稼働できる状態になかった。そこで戦災で焼け出された若い女性たちをかき集めて、とりあえずの『性の防波堤』にする。これがRAAの本来の目的だった。彼女たちは「捨て駒」でもあったのだ。

筆者は生前の広岡にインタビューする機会があったのだが、その際、広岡は小町園(RAA)について、「戦時中、鬼畜米英と教育された普通の女性が、自分たちの家族を殺した相手に身をゆだねるというのは、想像を絶する苦悩があったのだと思います。メアリーもそうでしたが、RAAの慰安婦たちは、他の風俗嬢より『まっとうな生活をしてはいけない』という意識が強く、そのまま風俗業界に残る人も多かった」と語っていた。

RAA慰安婦を当時の情勢から仕方なかった、法的に問題もなかった、そう結論つけるのはたやすい。しかし、慰安婦という存在の背後に横たわっている問題はそれだけではないはずだ。RAA慰安婦を通じて、私たちは強制か否かという以前の慰安婦問題にもう一度、向き合ってみるべきではないだろうか。
(東田コウ)

最終更新:2018.10.18 05:15

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