セクハラやじ騒動にネトウヨ猛反発! いまの社会は女尊男卑か?

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「塩村あやかオフィシャルWEBサイト」より


 大きな騒動となった東京都議会における「ヤジ発言」問題。マスコミをはじめ世論は「これはセクハラ」との声が高まり、海外からも「女性への差別だ」と非難を受けている。

 しかしこの流れを受けて口を切ったのは、二股疑惑で時の人となったばかりの“明治天皇の玄孫”竹田恒泰。竹田はTwitterで、フェミニストの田嶋陽子からテレビ番組で「あんたが早く結婚しなさいよ」と言われたことを明かし、「でも男性蔑視などと話題になったこたもない。おなじヤジでも、立場が変わると大分違うものだと思った。」(原文ママ)と反発したのだ。また、同じように軍事評論家・田母神俊雄も「都議会の女性蔑視だと言われている発言がどうして女性蔑視なのか私にはよく分からない。いいじゃないかそのくらいというのが正直な気持ちです。」とTwitterに投稿し、話題を集めた。

 つい先日も「これ以上女性の社会進出を進めるべきではない」と言い放ったタモちゃんなだけに、このヤジが問題になることなど理解できないのはわかりきった話ではあるが、驚かされるのは竹田の発言に対し、「正論だ」「男女平等の障害は女」「確かに男は不利」などと同意する声も集まっていることだ。

 実際、昨今ネット上では「女尊男卑」を訴える意見がよく目につく。痴漢冤罪に女性専用車両、企業への就職や大学入試における女性枠、映画館のレディースデーやらホテルなどのレディースプランにいたるまで、すべてが女性を特別扱いした“男性差別”の例だというのだ。

 たしかに、正直、映画を女性だけが安く観られることには不公平感が募るし、いろいろおかずが付いているレディースランチに心惹かれても、男は注文しづらい。だが、それがまさか差別だったとは……。果たして、いま男は“女尊男卑”の時代を生きているのか否か。そのことを知るために、タイトルから直球な『ぼくたちの女災社会』(兵頭新児/二見書房)を読んでみることにした。

 まず著者は、上記に挙げたような「極端な女性優遇」に異を唱える人が増えていることを〈「男性=加害者/女性=被害者」というわかりやすい二元論が間違いであったとの理解の広まり、まるで今まで太陽が地球の周りを回っていると信じきっていたのが間違いであるとわかったときのようなコペルニクス的転回です〉と宣言。冒頭からかなりヒートアップしている。

 そして、いま関心が集まっているセクハラについては、1980年代末期〜90年代初頭に起こったフェミニズムブームの最中にアメリカから日本に上陸した概念であると解説。〈要はトラブルが起こっても内々で穏便に済ませてしまう和を尊ぶ日本の社会で、フェミニストたちがアメリカという箸が転げただけで「訴えてやる!」と騒ぎ立てる訴訟社会直輸入の武器を振りかざしたがために騒ぎが大きくなってしまったと、言ってしまえばその程度のことでしかありません〉とバッサリ片づけている。

 とくに怒りをたぎらせているのは、痴漢冤罪だ。だいたいセクハラやストーカー事件で男がやり玉に挙げられがちなのは〈要は男性一般を何とか性犯罪者に仕立て上げようとする、女災社会の見えざる手の健気な試みであった〉とし、〈ところがそれらの試みがことごとく失敗し、女災社会はついになりふりかまわず、「とりあえず冤罪でパクる」という手段に出るまでになってきたのです〉と主張。これが痴漢冤罪の本質なのだという。当然ながら、起訴されると有罪率が99.98パーセントという検察の異常さは、ここでは批判対象ではない。どうやら女は検察庁まで牛耳っているらしい。

 しかし、話はこんなものでは終わらない。女性よりも男性の平均寿命が短いことは〈健康格差〉であるらしく、〈男性の肉体が、精神が、生命が女性に比べて圧倒的に軽んぜられている〉といい、殺人で検挙されるのは男性が圧倒的という事実に対しても、なぜか子どもへの虐待による死亡事例を引っ張り出し、70パーセント弱が女性が加害者ではないかと力説。さらに殺人事件での女性被害者の割合が30〜40パーセントに留まっている数字を掲げ、〈圧倒的にオトコの人だけが殺されすぎています〉と胸を張る。……「それ、男が男を殺してるってことじゃん」なんてツッコミは、もうすでに野暮というものである。

 保守系の政治家や論客が「男女平等」を目の敵にし、猛烈なジェンダーフリー・バッシングを巻き起こしたのは06年、第一次安倍内閣時だった。こうした“女尊男卑”思想がネットを中心に蔓延るようになったのも安倍政権の復活が引き金になっている──そう見る向きもあるらしい。だが、そうした遠因よりも、ネット上の書き込みやこの本を見ていて感じるのは、社会に押しつけられた「男らしさ」に絡め取られることに息苦しさを覚えながらも、どうすればいいかがわからないという“足掻き”だ。

 たとえば、本書の著者は、「ハイジャック事件などで人質になると、男性は最後まで解放されない」というエピソードを紹介し、男性自身が「男なのだから」と自らを規定してしまい、不公平さに気付けずにいるという意見に大きく同意している。にも関わらず、こう続けるのだ。

〈ぼくたちにはそんな「男らしさ」以外には、いまだ選択が与えられていないのが実情です。「男らしさ」から降りた男は女には絶対にモテず、また社会においても事実上、末梢されてしまいます。結婚できなくてもキャリアウーマンの道がある女性とは、わけが違います〉

 女性たちが、社会が規定する「女性らしさ」からの解放を求めて声を上げたのがウーマン・リブだ。彼女たちがモテたか、それとも非モテだったか、実態はわからないが、少なくともモテよりも自分らしく生きることを選んだはずである。そして、「行き遅れ」だの「そんなだから結婚できないんだ」などと野次られながら、結婚しなくても女性が社会でキャリアを築くことができる現状をつくりだした。歴史に学ぶのであれば、この社会が男にとって生きづらいというのであれば、まずは「モテ」に価値を置く世間に背を向け、「男らしさ」を捨てることから始めればいいのだ。

 男が「早く結婚しろ」と言われ、セクハラとして問題化する……“同じ痛み”を共有できる、そういう世の中になることを、女だって待ち望んでいるのだから。
(田岡 尼)

最終更新:2014.07.16 07:05

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