肺がんを告白した大林宣彦がそれでも映画をつくり続ける理由「映画には、世界を戦争から救う力がある」

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大林宣彦が危惧する「戦後70年で戦争の恐怖を忘れ始めた日本」

 大林監督本人が述べているように、現在の彼の作品づくりを支えているのは、1938年生まれの彼がもつ戦争の記憶を若い世代に残そうとするところにある。「文藝春秋」16年9月号では、終戦後に未来に絶望した母と二人で短刀を前に一晩過ごしたという彼自身の戦争体験をこのように書き綴っていた。

〈大人たちに混って、真珠湾奇襲攻撃大勝利を称える映画『ハワイ・マレー沖海戦』(42)を夢中で見た。実際の戦果もここまでで、後は留め処無い敗戦。然し戦争を続いているから、僕らは年中勝利噺を聞かされていた。即ち、日清・日露の戦勝談である。二○三の乃木大将も敵の将軍ステッセルも、杉野ハイヅコの広瀬中佐もみんなあの太平洋戦争の武勇談として教えられた。僕は爆弾三勇士となってお国の為に立派に戦死するのだ、と決意していた。
 親ハ刃ヲニギラセテ、人ヲ殺セトヲシヘシヤ。
 そして、戦争に負けた。男は撲殺、女は強姦、祖国は壊滅する。母と二人、短刀を前に一夜を過ごした。あの時、確かに僕は死んでいた。
 その後の記憶はズタズタだ。教科書の文字を墨で塗り潰したっけ。チョコレートにチューインガム。闇米、パンパン、アプレゲール。自決もせず、「平和」に浮かれている大人たち。日本人の精神年齢は十二歳、とアメリカさんは言う。大いに納得した。大人たちはみんな「平和難民」、僕ら子どもは「平和孤児」だ。〉

 戦後の焼け野原から日本は奇跡的な復興を遂げた。しかし、戦後70年以上の時が経ち、この国は早くも同じ過ちを繰り返そうとしている。大林監督は、そのことに対する憂いをこのように書いている。

〈日本は復興・発展。高度経済成長期、僕は大人になった。すると今度は、日本人が自らの手で、日本を壊し始める。僕は町興しならぬ町守り映画を作る事こそが、「敗戦少年」の責務であると。斯くして「3・11」を経て、明治維新以降の日本の「戦争」と「平和」を見直す「古里映画」を作り続けております。敗戦後七十年は「平和〇年」の筈だった。然し今、この日本は!?
 人ヲ殺シテ死ネヨトテ、二十四マデヲソダテシヤ。
 僕は七十八まで生き延びた。まだまだ、死ねぬ。〉(前掲「文藝春秋」)

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