産経新聞が「安保反対デモはヘイトスピーチ」との記事を掲載! 新聞記者なのにヘイトスピーチの意味も知らないのか?

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 他には、民主党の岡田克也代表に辻元清美議員、共産党の志位和夫委員長、社民党の吉田忠智党首が反対デモ参加者の前で演説した内容を紹介。さらに〈この日の集会は、マスコミにはおおむね好意的に報じられた〉として、朝日新聞と東京新聞の報道についてもこのように言及する。

〈そうした報道からは「善良な一般市民がその正義感から、横暴な安倍政権の抗議に集まった」との印象を受ける。だが、デモ集会が異様な雰囲気であることはその場にいればわかる〉
〈行き過ぎた演説やシュプレヒコールは、逆に「善良な一般市民」をデモから遠ざけるだろう〉

 いや、本気で何を書きたいのか全然分からないんだが。というか、この産経のコラムを隅から隅まで読んでも、その〈行き過ぎた演説やシュプレヒコール〉なるものはどこにも登場しない。いったいなにを〈倫理的に問題のある「ヘイトスピーチ」といって過言ではない〉などと言っているんだろう?

 そもそも、本サイトでも何回も説明してきたことだが、ヘイトスピーチというのは、とりわけ人種、性別、民族など、自分では容易に変更することができない属性を根拠にした差別的表現、あるいは差別によって犯罪行為を助長する表現のことをいう。単なる罵倒や暴言のことではない。

 しかも、産経の記事内で取り上げたような、「戦争したがる総理はヤメロ!」「納得できるかボケ!」「自民党感じ悪いよね」程度の抗議のどこが暴言なのか。たとえば、本サイトはこれまで、安倍首相に対して「バカ」「マザコン」「憲法レイプ魔」とする論評を紹介してきたが、それに比べれば“やさしい表現”とすら言えるだろう。

 もっとも、本サイトが伝えてきたような強烈な表現だって、仮にそれらが安保法制反対デモのなかで使われたとしても、権力者に向けたものであることは明白だからこそ、受忍されてしかるべきなのだ。なぜならば、為政者に対して自由に批判できることが、民主主義国家としての絶対条件だからである。もし、為政者への批判が、その表現が口汚いという理由で認められないのであれば、権力は恣意的に批判言説を取り締まることができる。そうすれば、日本国憲法で宣言されている“主権在民”は意味をなさなくなるだろう。実際、過去に裁判所は、“首相などの公人中の公人と言える人物に関しては、厳しい批判や揶揄も「受忍すべき」”という判断をはっきりと下してもいる。

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