宮崎駿に続き高畑勲も安倍首相を批判!「『火垂るの墓』では戦争を止められない」

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 これを聞いて思い出したのが、百田尚樹氏やその支持者がしきりに口にしている『永遠の0』=反戦小説論だ。

 先日、本サイトでも検証していたように、『永遠の0』は反戦でも何でもない、明らかな戦争賛美ファンタジー小説だ。軍上層部を批判してはいるが、こうすれば勝てたのにと作戦内容を糾弾しているだけで、戦争を始めたこと自体は一切批判していない。「死にたくない」というのが口癖の人物を主人公にし、特攻隊員が生命をかけていることについては悲劇的に描いているが、彼らが米軍機を容赦なく撃ち落としていることはまるでスポーツ解説でヒーローを褒め称えるように全面肯定している。

 つまり、百田たちはこの程度のものを「私は『永遠の0』で特攻を断固否定した」「戦争を肯定したことは一度もない」「『永遠の0』は戦争賛美じゃない、反戦だ」と強弁しているのだ。

 それに比べて、あれだけリアルに悲惨な戦争の現実を描きながら、自作のことを「反戦の役に立たない」という高畑監督のシビアさはどうだろう。

 だが、高畑監督の言うように、死にたくない、殺されたくないというのは、一見、戦争に反対しているように見えて、それだけで戦争を抑止する力にはならない、というのは事実だ。

 死にたくない、というだけなら、その先には必ず、死なないために、殺されないために相手を殺す、という発想が出てくるからだ。さらに、存在を放置しておいたら自分たちが殺される、という理由で、先に攻撃を加えるようになる。

 実際、これまでの多くの戦争が「自衛」という名目で行われてきた。日本国憲法制定時の総理大臣・吉田茂は「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛 権の名に於て行われたることは顕著なる事実であります。」と言ったが、先の戦争はまさにそうだった。日本はアジア各国で『火垂るの墓』の清太と節子と同じように罪のない人たちを戦争に巻きこみ、日本兵が殺されたように他国の兵隊や一般市民を殺してきたのだ。

 それは最近の戦争も変わらない。いや、ありもしない大量破壊兵器の存在を名目にアメリカが始めたイラク戦争のように、「殺されたくないから先に殺す」という傾向はますます強くなっている。自分は安全な場所にいてミサイルのスイッチを押すだけなら、戦争してもいいというムードさえ出てきている。

 本当の意味で戦争をなくそうとするなら、「死にたくない」だけでは足りない、「人を殺したくない」という気持ちこそが、はじめて戦争の抑止力となる。おそらく高畑監督はそう言いたかったのだろう。

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