松田聖子と中森明菜、紅白共演は無理? 二大アイドル因縁の歴史

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 その“対立”は詞の世界にも表れている。聖子には、松本隆・呉田軽穂(松任谷由実)の最強タッグによる「瞳はダイアモンド」(83年)という名曲がある。この歌のなかの主人公は、〈失恋して傷ついて泣いてはいるのに、自分はダイアモンドだと言い切ることで、それを乗り切る〉のだ。片や、明菜は井上陽水・作詞曲の「飾りじゃないのよ涙は」(84年)で、「ダイヤと違うの涙は」と歌う。これは井上陽水の軽いお遊びだったのかもしれないが、それでも聖子がまとう“永遠の少女”と、明菜の“孤独”“諦観”というイメージの相違が見てとれる。

 しかし、ふたりが正反対なのは、お察しの通り、そのパーソナリティにある。いまなお“ブリッコ”と呼ばれつづける聖子はデビュー時から笑顔を絶やさず、賞レースでは泣き声なのに涙が出ていないという“嘘泣き”まで披露。一方、明菜が人気を獲得したのは、その不器用さだった。〈歌番組で自分の番になって出て来るときに、いつも自信がなさそうにオドオドしている〉姿と〈歌いだしたときの変わり身の鮮やかさ〉が魅力だったのだ。

 それはその後、彼女たちが見舞われたスキャンダルのときにも如実に違いが表れた。バランス感覚を保つことに長けた聖子と、ずるずると引っ張られてしまった明菜。……その原因のひとつとして、著者は“芸名”の問題を挙げる。聖子の本名は、蒲池法子。当初は「新田明子」という芸名が用意されていたが、これを彼女は気に入らず、〈姓名判断の占い師が提示してきた、第二の芸名候補〉だった「松田聖子」を選んだ。明菜は、事務所から「森アスナ」という芸名を提示されたが、明菜は拒否。「中森明菜で、私、やっていきたいんです」と本名にこだわった。

 本名とはまったく違う芸名で〈松田聖子を演じきっていた〉聖子と、本名で勝負したことで〈逃げる場がなかった〉明菜。──キャラ化という言葉などまだない時代に聖子は見事にそれをつくりあげ、不倫や再婚といったスキャンダルをも自分の追い風にしていった。他方、明菜はどこまでも不器用で、芸能界を上手に渡ることもできないからこそ“孤高の歌姫”という伝説になった。

 こんな両極端なふたりが同時代にアイドルになった、それだけで奇跡だが、何より重要なのは、アイドルの枠組みを超える高い歌唱力と天才的な表現力をふたりしてもち合わせていたことだ。だからこそ、世間は聖子と明菜に夢中になったし、いまなお注目してしまうのだろう。

 ちなみに、聖子と明菜が組み上げた“ザ・芸能界”を、「なんてったってアイドル」で更地化したのが、昨年の紅白の目玉として登場した小泉今日子である。『あまちゃん』きっかけとはいえ、キョンキョンはこんにちの80年代アイドル再ブームの立役者。今年、紅白が聖子と明菜に白羽の矢を立てたのも、キョンキョンのお膳立てがあってこそというわけだ。

 しかも、小泉はアイドル時代から決して歌はうまいほうではなかったために、紅白での「潮騒のメモリー」披露も大して気にならなかった。だいたい、小泉のいまの肩書きは女優である。その点、聖子と明菜は歌にこだわりつづけた“歌手”だ。紅白での共演が実現すれば大いに盛り上がること間違いなしだが、問題は聖子と明菜が歌唱力の衰えを隠せるのかどうか……往年のファンは、それだけがいまから心配で仕方ないのである。そして、つくづくキョンキョンはずるいよなあ、と思うのであった。
(サニーうどん)

最終更新:2014.12.26 11:04

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